宮迫博之の誤算:闇営業後の対処で何がダメだったのか
こんな記事を見つけた。
芸能記事は99%クソな内容だが、これは素晴らしい。
要約すると・・・・
①宮迫の蛍原に対する高飛車な態度
長年自分が蛍原より上位にいた宮迫は、その意識を最後の最後まで捨てることができなかった。
②お笑い芸人仲間達をいまだに見下している
YouTubeにゲスト出演してくれている仲間に対しても、自分が優位に立ってふるまってしまい、自分がいじられることすら拒否してしまう。
③解散報告会での振る舞い
「アメトーーク」のセットが用意されて舞い上がったのであろうか?神妙で厳かに行われるべき解散報告会でも、何かと上から目線で出演者をいじってしまった。
そして、最後に宮迫の最大の欠点は、すべてをそつなくこなす自分に酔いしれていて、他人がオレ様をいじることをいっさい許さない
ことだろう。
これはフットボールアワーの岩男も同様で、岩男の場合、だれが見ても不細工でいじられてなんぼのキャラだが、一時期いじると不機嫌になって番組が成り立たなくなり、相方の後藤だけが起用される事態に陥った。
最近でこそ、いじられることを受け入れだした岩尾だが、宮迫はいまだに自分に対するいじりを一切許さない。
記事全文
宮迫博之「解散報告会」で見せた3つの大きなズレ
8月17日、宮迫博之と蛍原徹のお笑いコンビ・雨上がり決死隊の解散が発表された。同日にABEMAと吉本興業のYouTube公式チャンネルで配信された『アメトーーク 特別編 雨上がり決死隊解散報告会』では、ゲストの芸人たちに見守られながら、2人が解散に至った経緯を赤裸々に語っていた。
配信動画が進んでいく中で徐々に浮き彫りになったのは、宮迫と周囲の人々の間にある致命的な3つの「ズレ」である。宮迫の現状認識とほかの人たちの捉え方の間には溝があった。その溝がもはや修復不可能なほど深いものであることが、約2時間の動画を通して明らかになっていた。
■1つ目は「コンビの関係性の捉え方」のズレ
1つは、相方の蛍原との間で現在の「コンビの関係性」をどう捉えているか、ということに関するズレである。2人が語ったところによると、解散を切り出したのは蛍原のほうだった。闇営業問題を引き起こした宮迫が謹慎に入ってから、蛍原は彼の復帰を待ち続けていた。宮迫はいつかコンビとしてテレビに戻りたいと語っていたし、蛍原もそれを信じていた。だが、宮迫は突然、個人としてYouTubeでの活動を始めた。このことに関して蛍原への事前の相談はなかったという。また、始めたタイミングにも問題があった。宮迫と共に闇営業問題で謹慎処分となっていたロンドンブーツ1号2号の田村亮は、相方の田村淳と共に記者会見を開いていた。その会見の前日に宮迫のYouTubeチャンネルが開設されたのだ。なぜそんなタイミングでYouTubeを始めたのか。そのことにも蛍原は疑問を持っていた。
その後、宮迫のYouTubeチャンネルには、さまざまな芸人がゲストとして出演した。蛍原とのコンビ活動を再開する前に、ほかの芸人との活動を始めたこと。そして、そこに出る芸人たちが、一様に蛍原に対して気を遣い、気まずそうにしていたこと。それらの事実も蛍原を悩ませていた。
宮迫は自身のYouTubeチャンネルでも「いつか相方と並んでテレビに戻りたい」と夢を語っていた。だが、人間の本心は言葉よりも行動に表れる。宮迫が、本当に雨上がり決死隊というコンビを大事にしていて、蛍原という相方を最優先に考えていたのなら、一切の相談もなく個人でYouTubeを始めるという行動に出ただろうか。
もちろん宮迫には宮迫の事情があり、言い分があるだろう。しかし、すべては行動で判断される。闇営業問題から現在までの彼の行動は、相方の蛍原をないがしろにしてきたと思われても仕方がないものだった。
雨上がり決死隊というコンビの間では、いつも宮迫が上位に立っていた。一緒に番組に出ると、中心になって場を仕切ったり、盛り上げたりするのは宮迫の役目だった。
しかし、宮迫がトラブルを起こしてしまったことで、この関係性は逆転した。迷惑をかけたほうが、かけられたほうの上に立つのは不自然である。だが、長年自分が上位にいた宮迫は、その意識を最後の最後まで捨てることができなかったのではないか。
■2つ目は「ゲスト芸人たちとの意識」のズレ 2つ目は、ゲストとして出演していた芸人との意識のズレである。バラエティ番組で展開されるプロの芸人同士のやり取りは、高度な心理戦のようなものだ。あうんの呼吸で瞬時に相手の意図を見極めて、話に乗ったり、ツッコミをいれたり、イジったりイジられたりする。そこで選択を誤ると、気まずい空気が流れてしまうことになる。 配信動画に出ていたのは、東野幸治、出川哲朗、ケンドーコバヤシ、狩野英孝、FUJIWARAという面々。彼らは笑いを交えながらも、雨上がり決死隊の2人に率直な疑問をぶつけて、話を引き出そうとしていた。
ここで宮迫は何度も選択を間違えていた。コンビ間の「心温まるいい話」を聞きたくて話を振った出川に対して、宮迫は「相方が熱心にティラミスを勧めてきたことがある」という笑い話を披露した。照れ隠しのつもりだったのかもしれないが、出川を含めてその場にいる全員が「いま聞きたいのはそれじゃない」という表情をしていた。
また、宮迫はテレビに出ることをあきらめていないとも語っていた。いつかテレビに出られるなら、ひな壇の一番端っこの大声を出さないといけないところからやり直す覚悟だ、という趣旨のことを言っていた。
夢を語るのは個人の自由だ。だが、バラエティ番組の収録現場でひな壇の一番端っこの席に座ることを「一からやり直す」というふうに捉えているのだとしたら、少々考えが甘いと言わざるをえないのではないか。 そして、配信動画の中でも指摘されていたことだが、その場にいたFUJIWARAの藤本敏史などは、まさにひな壇の端っこで声を張り上げ続けてきた芸人である。いまだに現役の「ガヤ芸人」である藤本の前でそれを言ってしまうのも不用意である。
■3つ目は「解散報告会」に対するズレ 3つ目は、視聴者、出演者、スタッフとの間にある「この解散報告会は何をするための場所なのか」ということに対する認識のズレである。
「解散報告会」と銘打たれているのだから、そこで真っ先に行われるべきなのは、2人による解散に至った経緯の説明である。その上で、共演する芸人たちが「お疲れ様でした」と労をねぎらい、本人たちが「今までありがとうございました」と感謝の言葉を述べる。これが本来の趣旨だったはずだ。
だが、この日の宮迫の立ち居振る舞いは、そのような報告会の基本的な趣旨にそぐわないように見えた。彼は『アメトーーク』のセットが組まれた収録現場を、久々に返り咲いた「一世一代の晴れ舞台」と考えているようだった。ここぞとばかりに自分の司会者としての実力を見せつけようと、過度なアピールを繰り返していた。
だが、残念ながら、それは多くの視聴者が求めていたものとはかけ離れていた。芸人として人前に出ている以上、ことさらに神妙にする必要はないが、基本的な趣旨を逸脱するような振る舞いは避けるべきだろう。
宮迫は、相方から芯を食った指摘をされても「お前、ブスやないか」と言い返したり、彼らのことを思って泣き崩れる藤本に対してギャグを振ってみたり、何かと上から目線で共演者をイジろうとして空回りする場面が多かった。
そもそも、1組の芸人の解散に際して、テレビ局(テレビ朝日)と大手事務所(吉本興業)がこれだけの舞台を整えてくれること自体が異例のことだ。
この花道を用意してもらった宮迫が本当にやるべきだったのは、コンビの解散という事実にもっと堂々と向き合うことだったのではないか。
世の中には「闇営業なんてみんなやっている」「YouTubeを始めるのがそんなに悪いことなのか」などと宮迫を擁護する声もあると聞く。だが、宮迫が蛍原に見限られた本当の理由は、そんなところにないのは明らかだ。
闇営業自体が問題なのではなく、そこで金銭を受け取っていないとウソをついたことが問題だった。YouTubeを始めたこと自体が問題なのではなく、相方に何の相談もなく早急なタイミングで始めたことが問題だった。
お笑いコンビの切っても切れない独特の関係性は、しばしば夫婦にたとえられる。それに従うなら、この報告会は離婚会見のようなものだったと言える。
だが、仲間の芸人も一緒に出ていて、体裁は普段の『アメトーーク』のようなバラエティ番組だったため、かえって形式張った記者会見では聞けないリアルな本音が漏れたりする場面が多かった。
宮迫は、自分の芸人としての特徴について著書の中でこう書いている。 私はちょくちょく才能あふれる人たちに「宮迫の能力をグラフにすると、すごくキレイな六角形になる」と評される。まっ、これは完全に自慢なのだが、よくよく考えてみてもたしかにそうなのだ。というのも、昔からその気になってできないと思ったことがほとんどないのである。
(雨上がり決死隊著『雨上がり文庫』小学館文庫) ■万能芸人・宮迫博之の「唯一の欠点」 芸人にはそれぞれ得意不得意があるものだが、宮迫は幅広い分野で自他ともに認める卓越した才能を持っていた。キャラクターを演じるコントができて、身体能力が高く体を張った笑いもお手のもの。トークではボケもツッコミもこなし、MCとして番組を回すこともできる。さらに、芸達者な一面があり、歌も演技も上手い。何をやらせても人並み以上の力を発揮する多才な芸人だった。
だが、そんな万能型の宮迫にも唯一の欠点があった。それは、イジられるのを苦手としていることだ。宮迫は人一倍自己愛が強い人間であるため、他人から欠点を指摘されたり非難されたりするのをどうしても受け入れられないところがある。
芸人同士のやり取りでは、ときとして「イジる・イジられる」という関係が生まれる。これが成り立つためには、イジる側のセンスとイジられる側のセンスの両方が必要だ。だが、宮迫はイジられて受け身を取るのを極端に苦手としている。
イジられてそのまま受け止めれば笑いになるところで、まったく不必要な言い訳や言い返しをする。自分のプライドを守るためだけの空虚な言葉を吐く。その悪癖はこの報告会の中でも何度か繰り返されていた。
もちろん、お笑いコンビの関係性や、それぞれが本当のところはどう思っているかというのは、本人たちにしかわからないし、他人が口を挟むようなことでもない。だが、この報告会を見ているだけでも、彼らの関係がすでに取り返しのつかないものになっていることは十分に伝わってきた。
雨上がり決死隊という偉大なお笑いコンビの最後が、このような形であったことは残念でならない。
(文中敬称略)