国葬決定のプロセスはジャンケンなしのミカンの取り合い
安倍晋三の国葬が強硬された。
一般献花に計2万5889人とのこと。
同時に、反国葬デモには1万7000人ほどという話である。
世論調査で国葬反対は6割ほどとのことであるが、この献花者とデモにまで参加して反対した人の数の割合を見ると、どう見ても国葬反対は6割ではすまない気がする。
岸田総理はしきりに、安倍晋三の功績を謡うが、そもそも一国の総理大事になって何も功績を残さないならただのでくの坊である。
ところで、この国葬は、強行をごり押しした岸田総理でさえ、相当後ろめたいと見え、
などの詭弁で、しきりに自己弁明を繰り返す。
この国葬がなぜこれほど国民に受け入れられないかというと、民主主義の大前提から大きく外れているからである。
強行するにしても、せめて国会で議論するべきだった。
民主主義の大前提である、民をを反映するプロセスが完全に欠落した行為は、何をどう理由付けしても、だれにも理解されない。
いつもの空地の土管の前で、ジャイアンとのび太とスネ夫がいて、目の前にミカンが2個あるとする。
民主的にはジャンケンして勝った二人がミカンをもらえ、負けた一人は仕方なく我慢する。
これが民主主義であるが、
「のび太のくせに生意気だぞ。のび太のくせにミカンなんか食べるな」
と言って、話し合いもジャイケンもなしにジャイアンとスネ夫がミカンを取って口に放り込めば、視聴者の誰もが違和感を覚えるだろう。
今回岸田総理がとった行動はこれである。
せめて国民の代表が議論する場である国会で討論して決めるべきであるが、決まった後で後付けで説明しても、だれも納得しない。
ジャイアンとスネ夫がミカンを食べてしまってから、のび太にミカンを渡さなかった理由をいくら説明しても、だれも後から付け足した理由を受け入れることはできないだろう。
今まで全く決断できない岸田総理の唯一の積極的決断が、このありさまである。
もう、辞任してもいいんじゃないかな?