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オリンピック開催を国民が止められない=政府が戦争を選択しても国民が止められない

コロナ禍でオリンピックの開催が危ぶまれているのは誰の目にも明らかだろう。

このままオリンピックを開催すれば、日本はどうなるのだろう?

 

オリンピックを中止すべきなのは誰の目にも明らかであり、中止すべきと大部分の国民が思っているだろう。

日本は民主主義国家だと誰もが信じていたが、一度政府(自民党)が梶を切ってしまえば、間違った方向であっても国民が修正するシステムはなく、誰にもとめることができないということが、このオリンピック問題で発覚した。

ある意味では、今の日本政府は、北朝鮮の独裁政治と全く同じである。

 

 

では、今日本政府がどこかの国と戦争をはじめる決断を下したとしよう。その場合も、国民が中止すべきと判断しても、政府の決定を停めるすべは無いのではないか?

 

 

誰もが中止すべきと思っている五輪を国民の意思で止められないなら、政府が戦争を始めようとしても、国民は止めることができない、

ということだ

 

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そんな極端な・・・・

いやいや、日本は原発事故でいまだにメルトダウンして放射能を出し続けている中で、原発再稼動をとめることができなかったのは、国民の意思を反映する機構が全く働かないからだ。

 

イタリアは国内エネルギー資源が乏しいことから、1950年代から原子力発電開発に取り組み、1980年代初めには4基の発電炉、合計出力1,510万kWを建設した。しかし、原子力反対運動やチェルノブイリ事故の影響を受け、1987年11月に原子力発電所の建設・運転に関する法律の廃止を求めた国民投票が行われ、その結果、1990年までに核燃料サイクル関連施設を含む全ての原子力施設が閉鎖された。

 

五輪を中止すべきなのは自明の理であり、国民の意思である。
しかし

二階だか三階だかわけのわからない老人とそのじじいに掘られてしまって腑抜け担っている総理大臣には、その声は決して届かない。

いや、届けるシステムがこの日本には無い。