死刑廃止論
死刑廃止論者は、全くもって始末に終えない。
彼らは、
人間の尊厳の源である生死は人間自身が決めるべきではない
という考えを振りかざしているが、そういう議論に積極的に参加していないノンポリの人から見ても、この死刑廃止論者の行動は異様で異常なのは感じられる。
光市母子殺害事件(ひかりしぼしさつがいじけん)とは、1999年(平成11年)4月14日、山口県光市内の新日本製鐵光製鐵所社宅アパートで発生した殺人事件。 当時18歳0か月の少年F(現姓O)により、主婦(当時23歳)が殺害後屍姦され、その娘である乳児(生後11カ月)も殺害された上、財布が盗まれた少年犯罪である。Fは殺人・強姦致死・窃盗の各容疑の罪状で、刑事裁判で裁かれた。一・二審で、Fは死刑求刑に対し、無期懲役判決を受けるも、最高裁で破棄差し戻しされ、差し戻し控訴審で言い渡された死刑判決が確定し、現在再審請求中である。 裁判中はその残虐な事件内容と、Fを死刑にすべきでないと主張する弁護団の突飛とも言える弁護内容(後述)がマスコミで大きく取り上げられ、日本国内で論議を呼んだ。また被害者の夫が「犯罪被害者の権利確立」を訴えたことにより、この問題が大きく取りあげられるきっかけの一つとなった。
引用元:WikiPedia
弁護士が被告人の弁護の場に、自分たちの主義主張を持ち込んでしまって、弁護士の本来の使命を完全に忘れてしまって暴走した良い例である。
弁護士の本来の使命とは、有罪の被告の無罪を勝ち取ることでも、また、妥当な量刑よりいかに刑を軽くするか、でもない。
被告に自分の侵した罪と向き合う機械・時間を与えることである。
その点から言うと、この異常な弁護団は、自分の主義主張のために、ドラえもんの四次元ポケットだとか、魔界転生などといったあまりに突拍子も無い仮説を被告におしつけてしまい、この被告自身に、自分の犯した罪と向き合う機会を永久に奪い去ってしまった。
魔界転生を出してきたところが、ちょうど弁護団の年齢の発想である。
角川映画の魔界転生が流行ったのが、弁護団の連中が中学生~大学生の頃で、被告が生まれる何十年も前の映画・小説であり、この若い被告の世代の発想だとはとうてい思えない。
死刑を肯定も否定もしないが、死刑廃止論者の行動はあまりにお粗末で、不快なだけだ。