こんなものいらない:軽自動車と東京オリンピック
軽自動車と東京オリンピック
軽自動車と東京オリンピックはどちらも社会悪である。
存在自体が社会に害を与える。
え?
オリンピック開催が今のこの日本社会には、多方面でマイナスになるのは誰の目にも明らかだろう。
新型コロナまん延のなか、「安心安全」をうたうなら、完全中止をいち早く決断すべきだが、まあ、そうはいっても、人情的にはやってもいい?
IOCからすると、やってもらわないとワシらのくいっぷちが・・・
つまり、日本人は、理論的な部分より感情的な部分でオリンピック中止を決断できないわけだ。
ところで、日本国内で独自の進化を遂げた奇形種の軽自動車
実はこれも社会では害しかない、存在が悪である。
軽自動車は、世界中のどの国の安全基準も満たせない、走る棺桶である。
軽自動車は普通自動車と同じ安全基準を課せられたと思っている人も多いが、実は全く違う。
”事故れば死ぬ”と言われている軽自動車の規格の詳細は下記である。
軽自動車がなぜなくならないか?
「経済的に困っている人がいる」
「軽自動車は便利だから」
もう少し丁寧に書くと
軽自動車の存在意義.
軽自動車は、公共交通機関が不便な人口密度の低い地方部に多く普及している。. 人口密度が低い地域ほど、軽自動車は生活に必要なライフラインとなっており、軽自動車がなくなった場合の困窮度が高まる。. 60代以上では約8割が軽自動車がなくなった場合に困るとしており、約6割が運転を継続したいと考えている。. 女性では軽自動車がなくなった場合に困る人が約9割に達する。
要するにあると便利だから。
では、軽自動車ではなく普通自動車の小型車ではだめなのか?
「いや~、値段高くなっちゃうし、税金が高いでしょ?」
小型の普通自動車でな、ヨーロッパの厳しい安全基準をクリアしている車種も多く、値段も軽自動車に近い。
しかも軽自動車の平均耐用年数より長く、結局安くつく。
人の命を脅かすため、直ちになくすべき、廃止すべきも
だが
なんとなく便利だから
と日本人がそのままだらだら存在を許しているものが
軽自動車
と
東京オリンピック開催
ついでに言うと
原子力発電
人命より快楽・便利さを優先して存在しているものだ。
アホだな、日本人。