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細木数子

細木 数子(ほそき かずこ、1938年(昭和13年)4月4日 – )は、日本の作家、タレント、占術家。テレビ出演の際の肩書きは心照学研究家、人間学研究家などと称する場合もある。下記のようにかつては実業家でもあった。

引用:WikiPedia

 

出典元:PhotoAC

20歳で銀座にクラブを開くなど、若い頃から飲食店の仕事を行ってきた。
1975年に4億円の負債を抱えた島倉千代子の後見人としてこれを解決、島倉の興行の権利、レコードの販売権、同歌手の所有していた赤坂のマンションを手に入れた。
1977年 芸能プロダクション「ミュージック・オフィス」を設立。細木は「光星龍」という名前で社長に就任し、島倉の作詞も手掛けるようになる。

引用:WikiPedia

 

銀座のクラブのママであった1983年(45歳)に、政財界にも力を持つ事で知られる陽明学者の安岡正篤(1898年 – 1983年)と知り合い、結婚の約束を取り交わす。安岡の親族が反対する中、安岡と交わした結婚誓約書をもとに単独で婚姻届を提出し、受理されたが、当時安岡は85歳と高齢であり、入院先の病院での検査では認知症の症状があったとも言われ、安岡の親族が「婚姻の無効」の調停申し立てを行った翌月、安岡は他界した。調停により、婚姻は無効であるとした和解が成立し、初七日には籍を抜くこととなった。
また細木が相談者に先祖供養として勧めていたお墓の購入に関して、1993年には「人の不幸、不安につけこんで不当に高額な墓を買わされた」と霊感商法ばりの損害賠償を求める訴訟が全国各地で起こった。細木は墓の鑑定料として10万円を受取り、相談者は鑑定で勧められた1000万円を越える墓を購入、借金の返済に苦しんだ[7]。当時細木は久保田家石材商店とつながりがあり細木の著書の巻末には同社の連絡先一覧も掲載されていた。

引用:WikiPedia

 

一時期この人をTVで見ない日は無いほどでしたが、(製作側が名づけた)スピリチュアル番組は、ありもしない非科学的な現象をさも存在するように取り上げて、いわゆる霊感商法を助長するのではないかとし、民放連の放送基準に違反しているとされています。

そのため、製作側が自粛していたが、最近この人の娘と称する人物が現れ、番組制作側は過去の自主規制を忘れて、せっせとこの人物を番組で取り上げだした。

この親子を「お笑い枠」や「タレント枠」で出演させるのならかまわないが、スピリチュアル番組を復活させペテンの片棒を担いでいるという自覚が無い今の番組製作側に、過去の自分たちの自粛をもう一度思い出して欲しい。

同類(ペテン師)に江原啓之がいる

2008年1月21日、BPOは同番組が放送倫理違反であるとの審議結果を発表

最後に付け加えると、占いは人類学でも統計学でも何でもありません。単なるいんちきです。

また、血液型占いも、統計学ではなく、データの羅列ですらありません。