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ゴルフ

宗教とゴルフは似ている

どちらも、自分がのめり込むだけでは満足できず、必ず周りの人に勧める

その点、テニスはちょっと違う気がする。
テニスは純粋に自分が楽しんでいる人が多い印象だ。

ゴルフは、自分がのめり込むと、必ず誰か周りに勧める。大きなお世話だ。
ゴルフ好きは、ゴルフはさも社会的に必要な大人のたしなみみたいな口調で、ゴルフを勧めてくる。

ところで、ゴルフは自己顕示欲の披露の場だ。
朝に車で到着して、駐車場で戦いが始まる。
クラウン程度のしょぼい車でも、誰よりも早く新しいモデルを所有しているとか、自分のはアスリートだとか、どうでもよいレベルでの戦いだ。

メルセデスに乗っている人は、同じSクラスだと、下から上までランク付けはないところをみると、クラウンより経済的余裕があるのだろう。

話を戻して、宗教をなぜ人に勧めるかという疑問が浮上する。

宗教によってのみ人間は救われると信じ込んで宗教に陶酔している人は、自分だけではなく一人でも多くの人が救われるよう、布教活動をする。
なぜ自分だけ幸せになるのではなく、周りも幸せにしようと努力するかというと、神の教え、聖書の教えにそうあるからだ。

では、ゴルフはなぜ人に勧めるのか?
それもやはり宗教の不況活動と同じで、ゴルフによって自分が得られた(と勘違いしている)メリットを、他の人にも味わって欲しいのだろう。

メリットとは

  • 健康になった(つもり)
  • 人脈が広がった(つもり)
  • 面白い(と思っているのは自分だけ)

はは、大したメリットは無いな。
最初の二つは単なる本人の勘違い、最後の「面白い」は主観的な感情で、それこそ感情の押し売りだ。

私の周りで、突然ハーレーダビットソンをローンで購入した若い営業さんがいた。
お得意先の社長さんに強く勧められたようだが、いい迷惑だ。
そのバカ社長は本人の意志で買ったと言いたいだろうが、どこから見ても単なるパワハラだ。
案の定、その若者はハーレーを1年もたたずに売却してしまった。

宗教もゴルフも、誰にも知られないところで、一人静かに勝手にのめりこんでくれ、誰も巻き込むな

と言いたい